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RESEARCH

研究業績詳細

論文(査読付き)
発表日:2024年9月15日

カルテル法制史における昭和30年代後半の法による許容の展開:特定産業振興臨時措置法案の議論を中心に

タイトル

瀬翔太郎「カルテル法制史における昭和30年代後半の法による許容の展開:特定産業振興臨時措置法案の議論を中心に」法学政治学論究142号(2024)83-128頁。

目次

一 はじめに
二 経緯と背景
 (一) カルテル法制の展開
 (二) 不当な取引制限の解釈・運用
 (三) 経済政策の変遷と国民所得倍増計画におけるカルテル
三 特振法案の検討から廃案
 (一) 通産省による構想
 (二) 産業体制部会での検討と産業界の反応
 (三) 通産省による国際競争力強化法案
 (四) 特振法案の調整
 (五) 特振法案の規定
 (六) 国会審議と廃案
 (七) 昭和30年代後半のカルテルに対する解釈・運用
四 考察
 (一) 特振法案における立法事実の欠如
 (二) カルテル法制史における特振法案の位置付け
 (三) 適用除外カルテルにおける公取委の関与
五 結語

要旨

本稿は、昭和30年代後半の、わが国が経済的な国際社会への復帰の時期において、カルテルがどのような扱いをされていたのか、ということを分析する。特に、貿易自由化に伴い、国内産業が衰退することに危機感を持った通産省が立案した特定産業振興臨時措置法案の議論過程を詳細に見ることで、当時独占禁止法の不当な取引制限との関係で、どのような範囲でカルテルを許容されようとしていたのか、という議論を確認する。
特定産業振興臨時措置法案は、結局、廃案となった。この法案は、戦後最大の経済政策立法と呼ばれた法案である。そのため、これが成立していたら、日本の市場と政府の関係は現在のものとは相当に異なったものとなり、政府と市場の関係は、この法案の立案の際に参考にされたフランス的な、より社会主義的な計画経済の色彩の強い関係に変わっていた可能性が高いと言われる。カルテルという観点に落とし込めば、よりカルテルを経た商品役務が市中にさらに出回っていたことになったかもしれない法案だった。また、法案自体は頓挫したものの、この時期、投資調整などでは、公正取引委員会の弾力的運用による事実上の適法化という姿勢も見てとることができる。一方で、昭和20年後半以来続いてきた勧告操短への対応は、物価高騰という消費者政策の解決手段の一つとして独占禁止法が利用されることで、厳しく扱われ、廃止された。
このような時代状況から、昭和30年代後半のカルテル法制は、法令を模索する期間から、法令を適用する期間への過渡期だったと言える。すなわち、独占禁止法昭和28年改正以降、昭和30年代前半は、勧告操短等を中心とした行政指導による実質的なカルテルが横行しつつ、さらに、個別法による適用除外カルテルが次々に誕生していた。しかし、昭和30年代後半に入ると、個別法立法の動きはありつつも、一方で、法的根拠が明らかとは言えない勧告操短は、廃止されるなどの動きを見ることができる。
考察では、特定産業振興臨時措置法案は、政治的にも積極的な勢力が不在で、廃案となったが、立法事実も明らかではなかったことを指摘した後、この法案と、過去の一般的包括的な産業政策立法の試みとの類似点、相違点を論じる。また、カルテルを許容する法制に対して、関係官庁がどのように関与しようとしていたのかを論じた。特に、特定産業振興臨時措置法案は、個別法であるにもかかわらず、最終判断権の所在が公正取引委員会にあったことが特徴であることを指摘する。

Title

Scope of Law and Its Evaluation in Japanese Cartel Law History in the early 1960s: Focusing on the Debate of the Special Measures Law for the Promotion of Designated Industries

詳細情報

掲載誌 法学政治学論究 142
発表年 2024
ページ数 83-128