カルテル法制史から見る「競争」と「規制」:独占禁止法昭和28年改正に至る議論を中心に
タイトル
廣瀬翔太郎「カルテル法制史から見る「競争」と「規制」:独占禁止法昭和28年改正に至る議論を中心に」法学政治学論究137号(2023)213-254頁。
目次
一 問題の所在
二 独禁法のカルテル法制に対する基本的理解
(一) カルテル禁止規定の構成
(二) カルテル許容規定の構成
1 不況カルテルの規定
2 合理化カルテルの規定
三 昭和二八年改正の議論が具体化するまでの展開
(一) カルテル禁止規定にかかる議論
1 旧四条の修正議論
2 カルテル禁止規定の解釈による正当化の可能性
(二) 適用除外カルテル誕生の背景
1 独禁法と勧告操短の関係
2 勧告操短に対する公取委と通産省の対立
(三) 産業官庁を中心とした動き
1 総司令部撤退前の動き
2 総司令部撤退後の動き
四 改正法案が確定するまでの展開
(一) 改正要綱が公開される前の考え方
1 経審庁第一次案
2 通産省第一次案
3 経団連の要望意見
4 公取委の動きと基本方針
5 経審庁・通産省第二次案による方針変更と明確化
(二) 改正要綱の公開とそれに対する意見
1 公取委による改正要綱
2 改正要綱に対する関係官庁の意見
3 改正要綱に対する経団連の要望意見
4 改正法案の閣議決定
五 国会審議
(一) 昭和28年3月の審議(改正趣旨)
(二) 昭和28年6月以降の審議
1 前回の改正法案との相違点
2 適用除外カルテルにかかる審議
3 修正案の登場と成立
六 考察
(一) 旧四条の廃止理由とそれに伴う禁止規定の変化
(二) カルテル許容規定の内容と性格
(三) カルテル法制に関する昭和28年改正の評価
七 結びに代えて
要旨
本稿は、独占禁止法のカルテル法制の変遷のうち、日本が独立を果たして初めての改正である昭和28(1953)年改正にかかる経緯とその審議に焦点を当てて考察を行うものである。これを通して、カルテルを禁止する法と、許容する法の均衡がどのようにあるべきか、言い換えれば、「競争」と「規制」の法制度がどのようにあるべきかの検討を試みる。
それにあたり、第二章で独占禁止法上のカルテル関連規定について確認した後、第三章では、総司令部統治下で既に行われていた旧四条の修正議論、カルテル禁止規定の解釈による正当化の可能性について論じる。その後、適用除外カルテル誕生の背景となった通商産業省の競争制限を伴う「勧告操短」と呼ばれる行政指導について紹介し、総司令部の撤退前後で独禁法を含むカルテル法制に対してどのような動きがあったのかについて論じる。
第四章では、既存の研究ではほとんど触れられない改正法案が国会に提出される過程での官庁間の意見相違がどのようにあったのかを紹介し、当時の関係官庁の意図を明らかにする。この点、改正法案を検討する段階では、カルテル許容規定の認可主体(認可方式)についての見解が大きく分かれていた。具体的には、「競争」を重視する公正取引委員会と、「規制」を取り入れたい通商産業省の対立である。両者共に自らが適用除外カルテルの認可権を持ちたいと考えていた。第五章で国会審議を論じるが、国会提出法案では、主務大臣が認可することになっていた。しかし、国会審議の中で、修正案が提出され、最終的には、公正取引委員会が認可権を持つことになった。どのような経緯でそのようになったのか、詳細に論じる。
第六章では、第二章から第五章までを受けて、カルテル禁止規定、許容規定のそれぞれについて独占禁止法上の変化を論じ、全体として昭和28年改正におけるカルテル法制の変化を評価する。
公正取引委員会が適用除外カルテルの認可権を持つことになったことを踏まえれば、公正取引委員会が「競争」と「規制」を両面から担当する形になったと言える。改正直後、公正取引委員会は「競争」を重視する態度をとったことから、通商産業省は、産業政策が反映しづらいという点で不満が残る改正となった。そして、法改正の原因ともなった勧告操短が再開されるなど、再び「競争」と「規制」の関係性に関する問題が生じることになる。
Title
“Competition” and “Regulation” in the Cartel Law History: Focusing on the Debate Leading to the 1953 Amendment of the Japanese Antimonopoly Act